2012年05月20日

伝説のセラピストERICKSONはいかに語りかけ、何を視ていたのか?

ERICKSON ミルトン・エリクソンの催眠テクニック
I言語パターン、II知覚パターン
ジョン・グリンダー、リチャード・バンドラー、ジュディス・ディロージャ著
訳・浅田仁子 春秋社 (各3300円税込み)


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 著名な英・仏語翻訳家であり友人である浅田仁子さん(HGプレミアム会員)から昨年エリクソン催眠の翻訳に取り掛かっている旨お話はうかがっておりました。先日そのお仕事が「ミルトン・エリクソンの催眠テクニック I&II」として出版の運びと成り浅田さんからご送呈いただきました。この偉大な本の全貌ををこの場でご紹介することはとても難しいことですが、私自身考えることも多くありましたので拙文を書かせていただくことにしました。
 著者はNLP開発者として知られるジョン・グリンダー氏とリチャード・バンドラー氏であります。(IIではジュディス・ディロージャ氏が加わっておられます。)
 二巻本のボリュームもさることながらその内容の濃さと綿密さに圧倒されたというのが私が本を手にした正直な感想でした。グリンダー氏との根気強いやり取りをどれほどご苦労してなさったことか、浅田さんのプロ魂を見せられたと申しましょうか、その熱意がこちらに伝わってくるような重みを感じました。
 近年日本でもNLP(神経言語プログラミング)を学ばれる方が増えております。そのNLPを共同開発したのがこの本の著者グリンダー、バンドラー両氏なわけですが、お二人がエリクソンをはじめとした3名のトップセラピストの認知、行動、パターンのモデル化に取り組み、そのワークを土台としてNLPの基礎を形成したことは多くの皆様がご存知のことかと思います。
 中でもエリクソン催眠については、エリクソン氏ご本人が「自分がどうしているかは理解しているが、どのようにやっているかはうまく説明できない。」とおっしゃっておられるように、「Uthilization(利用できるものはなんでも使う)」方法であり、自らの技法を体系化を好まれないとされてきました。「伝説のセラピスト」「魔術師」といった数々の賛辞の言葉がその技法を本にまとめる困難さを表しているといえると思います。ましてそれを日本語に翻訳することがどれほど大変なことであるかも私たちは容易に察することができましょう。
 NLPを学んでおられる方々には伝説となる本の誕生でもあります。しかしながらこの本はコミュニケーションの本でもあるのです。カウンセリングやコーチング等、人と携わるお仕事をなさっておられる方には学ぶところの多い本でもあるといえると思います。
 はからずも、翻訳をなさった浅田仁子さんご自身が訳者あとがきの中で次のように述べておられます。(一部抜粋)
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NLPは今もなお進化を続け、治療から教育、ビジネス、自己啓発へとその適応の場を広げている。共通項はコミュニケーション、すなわち他者とのコミュニケーション、自分自身とのコミュニケーションである。それゆえにこそ本書には「コミュニケーター」という表現が多々出てくる。エリクソンが使った様々なパターンを理解し、学び、自分のものにすることは、コミュニケーションに関わるすべての人々、すなわちコミュニケーターにとって、また人間がコミュニケーションを介して生きる動物であるとするならば、あらゆる人々にとってそれぞれの形で役立つものだと信じている。(抜粋ここまで)
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アドラー心理学を学びに集っておられるヒューマン・ギルドの皆様にもセッションやエピソード部分など天才セラピストがどのようにクライアントに関わるのか面白く、興味を持って読んでいただけると思います。いわゆる「なんともならない人」が「なんとかなってしまう。」。その過程を知ることができ分析もされている、エリクソン催眠マジックを微に入り細にわたり味わえるのはこの翻訳本ならではの魅力です。
 最後にこの本がなぜ今なのか?
たとえどんなことでも学ぶということ、そして自分が発信する側になるということ。そのためには誰にどのような形で学ぶのかということ。「メンターを選ぶ際には直感の警告に従え」。グリンダー氏の巷に氾濫する学びの基礎をないがしろにするものへの警鐘を感じつつ、自分自身が学び続け発信し続けるためには?と自らへの問いかけにもこの本がなったことを付け加えさせていただきます。
  素晴らしき友である浅田仁子さんへ愛と感謝と尊敬をこめて 高橋直子

この記事はヒューマン・ギルド ニュースレター6月号に掲載されます。
posted by 高橋直子 at 17:03| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月18日

社会からの圧力

例えば親が子どもにこういう。

「子どもらしくしなさい。親の言うことを聞きなさい。」

教師が生徒にいう。

「学生らしくしなさい。」

会社の上司が部下にいう。

「社会人らしくあれ。」

「〜〜であれ」という命令は、「世間」からされることもあります。「社会」でもいいかな。

ことに若い人たちであったり、これまであったものを変えようとか、そういう行動に対して、これらは無言の圧力となって立ちはだかることになり結果として、皆同じ、、、になる、元の木阿弥になる、はよくあるパターンです。

学生が社会人なりたてのころ、社会に適応することを求められ、それを苦しく感じることは誰しも経験があるかと思います。

「自分らしく生きたい」と思えば、それに対してNOを言うことも出てくるのです。

一人で生きているわけではないのである程度の制約を受けることは仕方がないけれど、無理を強いられていると感じることは「今自分の本当にしたいことをできていないのではないか?」と問うよいチャンスであるとも言えます。

誰も他の人の期待を満たすために生きているのではない。他の人が不当に自分の人生に干渉してきたとしてもそのような働きかけを拒むこと、それは自分らしくありたいという自分の権利を守る意味もあると思う。

私は自分の人生を生きたいのです。誰かのために自分が無理をすること、自己犠牲ということは望みません。

自己犠牲という考え方については、どうも胡散臭いものを感じます。

なぜかというと、実際に自分のことをできていないから他に貢献することで目をくらましている場合もあるから。

貢献とは「強いられること」ではなく、「頼まれてやること」でもなく、「我慢してやること」でもなく、「自発的な営み」であり、「その行為によって何かを期待する」ものではない。

「自分がうれしい」ただそれだけでいいような気がするのですが。。




posted by 高橋直子 at 08:19| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月17日

ほどほどの距離をとれることも仕事能力のうち

上を変えることは無理ですので、我慢するかやめるしかないのですが、職場の同僚に対してだとどうしても競争意識が働き、いろんな大義名分をつけて自分の思うとおりに動かそうとする人がいます。

とっても仕事のできるAさん、他の人を凌駕しています。しかしながらいかんせん、パートナーを手厳しくやり込めるので、次々にやめてしまい、とうとう持ち場は自分ひとりになり、最後には疲れ果てて自分がやめると言い出しました。

私の職場はほぼ全員が競争原理で動いているので、しょっちゅう衝突があるのですが、彼女の場合には、強すぎてみんなに敬遠されてしまっていました。

うちの職場にはお一人障害を持った男性がいらっしゃいます。ほぼ全員とトラぶっています。話を聞いていると、他の方たちが彼を馬鹿にしているというか上から目線で叱り付けてるんだよねえ。
彼が怒るのは当然だと私は思います。

またAさんに対しても全員が嫌っているのはやはり上から目線で「何をえらそうに」と思ってしまうから。
彼女がどんなに正しくても、これでは協力者は得られません。孤立するだけです。

あまりに人がやめるので、上も辟易して、しばらく放置していたのですが、Aさんのほうが我慢できなくなった。

「やってもやっても認めてもらえない」彼女の言い分は多分こうでしょうね。

仕事ができるー確かにそれは大事なことでもあるけれど他者との協力関係が築けるということも含まれるのではと私は思うんです。

障害を持った彼も、けんかばかりしていてもてあましているように職場では思われているけど、実はとっても優しい人で、先日も私が帰ろうとしたら、ドアを開けてくれて「なおちゃん、どうぞ。」って言ってくれた。

かける言葉一つでこんなにも相手の対応が違う。
ほどほどの距離というか、それができるようになると格段に他者関係が快適なものになる。

一人だけ私は苦手な人がいて、他の人に対して大声で怒鳴ったりする。でも彼と関係が悪いわけではないので、今度は何気に言って見ようと思っています。

「ねね、こんなに近くにいるんだから優しくしゃべってくれるととっても嬉しいんだけど。」ってな感じかなあ。。

posted by 高橋直子 at 06:44| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月13日

YESマンの悲劇

なんでもかんでも、はい、はい、はい、と言って受け入れていると、自分が大変な思いをすることになります。

主人がこのパターンです。
昨日も予定詰まっているのに、保険屋さんのアポを受け入れてしまい、「どうやって時間を空けたらいいのかしら?」と私に突っ込まれる事態になりました。(笑)
来たものをなんでもかんでもOKって受け入れるのやめて欲しいな〜と。

最終的に主人が受け入れたものを私がフォローする羽目になり、何にも話を聞いていないのにそれはどういうこと?ってなるんです。

先日も雨どいを直す業者さんが突然来て「ご主人にお話したのですが。。。」と言われてびっくり。
「何にも聞いてないぞお〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」

怒り心頭の私に主人は「パニック!!!!」(笑・いや別に怒ってはいないんだけどね。)

「相談するのでちょっと待ってください。」とかね、ワンクッション置くってことがあればいいんだが。。

なんでもOKしてしまい、それは駄目だということになると相手にも「ころころかわるあてにならない人」になりかねないよね。
最終的に「自分で断ってね。」と主人には自分の行動を自分で完結してもらっているのですが。

やっぱり「NOをいえる」ってとっても大事だし「勝手に自分ひとりで決めないで、家族に相談する」とか「いい気持ちがしないことを伝える」「不愉快を伝える」こういうことが自然にできるようになるって自分をラクにするんだな〜と思っています。



posted by 高橋直子 at 05:38| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月12日

相手を傷つけずにNOを言う

結論としてNOはNOなので、傷つくかもしれないけど(笑)でも、まあ相手にも都合があるだろうからとか思ってもらえそうな断り方

5月のアドラー心理学仙台勉強会のテーマはこれに決めました。(^-^)
予定は27日(日曜日)午前9時半から2時間半から3時間(会場は未定)

テーマに添ったディスカッションとテキストに基づいた感想のシェアがメインです。
ニュースレターでお知らせしたように、学びのテキストは岩井先生の「勇気づけの心理学」です。ご購入の上ご参加ください。

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ポイントは。。。
「相手を傷つけないように、あれこれくっつけすぎるから逆に心証を悪くしている。」ですね。(^-^)

posted by 高橋直子 at 06:48| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする