2013年07月31日

教育に生かすアドラー心理学・仙台にて

昨日7月30日・仙台にて、昨年に引き続き、ヒューマン・ギルドの岩井俊憲先生のご尽力によりペルグリーノ博士をお迎えして「教育に生かすアドラー心理学ワークショップ」を開催させていただくことができ、私も受講者として学ぶことの多い一日を過ごさせていただきました。

二日分を一日でこなすというコンテンツ量の多さでしたので、いまだ振り返りはできていないほどの濃さだったのですが、わかったことは、アドラー心理学は進化しているということでした。

自分が今まで得た知識にプラスアルファがあり、また組み換えもあり、新たな視点もあり、と得るところが満載のセミナーでした。
これからテキストを読み返しながら自分なりに得たものを整理していきたいと思っております。

今年で博士のセミナーを受講して三年目になります。
「歩くアドラー心理学」とは、こういう方のこというのかもしれないといつも感じます。
博士はいつも自然体であり、穏やかであり、優雅な方です。

勇気づけを学び広めるのであれば、自分がそこにいるだけで周りを「勇気づける人」でありたい。

それはまさに自分の目指すところであります。
今後も機会があれば博士から知識以外のことも学ぶべきこと、人としての在り方も含めてですが、学ばせていただけることを願っております。

ご参加いただいた皆様、本当にありがとうございました

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posted by 高橋直子 at 04:54| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月11日

勇気づけられた記憶

アドラー心理学のベーシックコースを受講するとワークの中に「今まで自分を誰がどのように勇気づけてくれたのか」を書く作業があります。

最初は全く、誰も思いつかなかったので書けませんでした。
多分自分を好きになったら何か思い出すかもしれないと思っていましたが、実はいまだに思い出せません。
特にアドラー心理学に出会う前については、皆無なのです。

そんなことはないだろう?と思われる方もおられるかもしれませんが、本当に「勇気をくじかれたと感じる記憶」はあっても「勇気づけられた」「うれしい言葉をかけられた」は、ありません。

スポーツや勉強で結果を出して「評価」として「褒められた」ことはあります。でもそれもほとんど思い出せないのです。

ヒューマン・ギルドの研修室で周りの人たちがサラサラとペンを走らせている中、一人でさびしい思いをしたのはつい最近のことであったのです。

小学校の二年生のときの記憶とダブりました。
週末になると先生が「今週頑張って発言した人」を立たせてみんなで拍手するのです。自分の周りが全部次々に名前を呼ばれる中で一人でポツンと座っている悲しさ。

その先生には嫌な思い出しかなく、掛け算九九をクラスで一番早くクリアした時も、褒められもせずにボタンの取れかかった服装を注意されました。
冬休みにみんなに負けないように一生懸命覚えて目立たない、とりえのない私には初めての誇らしい花の舞台だったというのに。。

そんな私でもアドラー心理学を学ぶうちに自分が大好きと思えるようになりました。
アドラー心理学の素晴らしさを伝えたいのは、私のように勇気づけられた経験のない人がたくさんおられることを知っているから。
そういう方たちと出会うたびに以前の私を思い出し胸が痛む思いをしているから。
勇気づけられて自分が好きになれると生き生きといつからでも自分らしい人生を送れることを知っているからです。

<受付中のセミナーご案内>

ハートペルグリーノ博士の「教育に生かすアドラー心理学ワークショップ」7月30日(火)仙台
お申し込みはヒューマン・ギルドへ

ハート仙台開催・愛と勇気づけの親子関係セミナーSMILE
日曜集中二日間コース 7月21日、8月18日

ハート盛岡開催・愛と勇気づけの親子関係セミナーSMILE
日曜集中二日間コース 9月29日、10月27日

✰詳細はサイトのSMILEのページでご確認くださいませ
http://adora-tohoku.sakura.ne.jp

posted by 高橋直子 at 17:45| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月07日

お父さん・お母さん・待って!!

過保護と過干渉について続けます。

自分はどうして親に対して主張することをやめてしまったのかな〜?と考えると、それに付随した記憶はたくさん出てきます。

食事に行って親が勧めるものと違うものを注文する。
レコードや本を買いに行って親の勧めるものと違うものを買う。

それを一旦は認めるけれども、あとから「お父さんの勧めるものを頼んだほうがよかっただろう?」とか「やっぱりあっちのレコードのほうがよかったよ。」と言われるのです。

後から言われるぐらいなら、黙って親の言うとおりにしておいたほうが楽です。

父の口癖は、「くだらない!!」という言葉。
見ているテレビ、楽しみにしている漫画。

私に対してだけでなく家族の行動に何かというと「くだらない!!」という言葉が飛んできます。

もう口癖みたいになっていたようですけど、言われるほうはいい気分がしないのは当然ですので、とりあえず言われそうな行動は避けていきます。

こうして「自分の気持ちを言うことをあきらめる」、どうしても言わなければならない時には相手が言い返せないように短い言葉で片づける。

そんな私のコミュニケーション方法ができあがっていったようです。

一応過保護と過干渉についてここでの定義を述べておきましょう。

過保護ー子供が自分でできるし当然するべきことを親が変わってしてしまうこと

過干渉ー子供がすることについて行動の方向や方法を指示・命令して行動や決断の自由を奪うこと

子供の数が少なくなったこともあり、大事にしているつもりで過保護、過干渉の親が多くなり、子供が責任を取ることを体験させないことが多くなりました。

子供が失敗しないよう手を出し過ぎると子供はどう感じるでしょう?

「あなたには、まだ無理よ、一人ではできないわ。」というメッセージを送っていることになります。

子供はいつまでも自信が持てず、責任の取れない子供になり、起こった出来事について自分の責任かどうかすらわからない子供になってしまいます。

黙っていても親が勝手に決めて前に進んでいくので、自分の気持ちがどうなのかということ、それを表現する術を学ぶことなく育ってしまい、「黙っていること」が自分にとって一番楽な方法になってしまっている子がおられるようです。

大人しい子のそばには「何でもしてあげる、なんでも決めてあげる」親がいるのかもしれません。

私は以前学習塾を経営しておりました。

1人で生徒を見ているものですから入塾の人数は制限しており、通塾している親御さんのご紹介がないと受け入れないようにしておりました。

ある日突然中学生のお子さんを連れたお母さんが訪ねてこられました。

「ぜひ先生にうちの子を見ていただきたい。」というのです。

親御さんに連れてこられた男のお子さんは、下を向いたまま私の問いかけに答えようとしません。

私の質問にはお母さんが全部代わって応えていました。

「お子さんは私のところに来ることを望んでおられないようですが。」と申しましたらお母さんはあわてて
「いえ、本人は必要と思っています。ですので一緒に来ました。」

「では、ご本人の口から入塾したいという言葉をお聞きしたいのですが。」

結局最後までその子が口を開くことはありませんでしたので「申し訳ありませんが、本人が希望していないものを受け入れるわけにはまいりません。」とお断りしました。

その子は「自分の気持ちを言うことをあきらめている」ように私には見えました。

言いたいけれども言えない、じっと我慢しているようにも思われて、今は大人しく我慢しているけれどいつかきっと親に対して「抗議」の行動を起こす、そんな予感がしたのを覚えています。

相手のためと言いながら結局のところ
「自分の気が済む、自分が安心したい、自分が満足したい」の手段が「過保護」と「過干渉」と言えるかもしれません。

口を出したくなった時、手を出したくなった時
そんな時こそお子さんが「お父さん、お母さん、待って!!」と声にならない声を上げているときなのかもしれません。
posted by 高橋直子 at 05:27| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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