2013年07月04日

ガチンコ対決しないため・神の摂理か?細胞のなせる技か?

今日は全くの主観的なことを書いてみようと思います。(あくまで自分がそう思うということですので、そのつもりで読んでくださるとうれしいです。)

昨日第一子のことについて書きました。

書きながら2人兄弟の場合には全く性格が違うことが多く、その点について悩んでおられる親御さんもおられるようです。全然別の対応を迫られるからというのが理由かと思われます。

もちろん同じフィールドで行動する兄弟もおられますが、そういう場合には社会的な優越の評価が付きまといます。

ベーシックでおおよその出生順位による性格の違いについて学習した時には、なるほどと思っていたにとどまっていましたが、さてそれではなぜ?というところまでには至りませんでした。

昨日ブログを書いていて、これは兄弟同士がガチンコで競合せずに共存していくための「天の知恵」かもしれない、とふと思いました。

それぞれが別の個性を持ち、別のフィールドで行動することは真正面からの対決を避ける「個の保存」「個の生き残り」の意味があるのではないかしら?とそんな風に考えたのです。

親のほうが、比較することなくそれぞれの個性を認めて伸ばしていけば、どちらか片方が「勇気をくじかれた」と感じることなく自分のフィールドでのびのびと育っていけるのではないか。。

もし同じフィールドにいたとしても、「優越を争う」という家族の雰囲気がなければ、どちらかが「譲る」「一歩引く」「サポートに回る」などの選択肢も得られるわけですから、やはり家族という共同体の雰囲気・価値が物を言うわけでしょう。

子供のころ嫌だったなと今振り返っても思うのは、「比較」されること。

今でも親には比較されることが多いですし、学生時代は学校の先生にも散々比較されて、しまいには「好きだ」とか「嫌いだ」とか、まで言われたことがあります。

私の主観的意見を基にして考えると
「個性、性格、行動フィールドの違いは、自分が周りと共存しながら生き残るための神から授かった子供の知恵」
と思われて、なんだか存在そのものがとても愛おしいと思えてきます。
posted by 高橋直子 at 05:17| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする