2015年03月15日

ロバートの場合ーどうすれば幸福になれるか

先月の仙台勉強会は人数が多かったので二つのグループに分かれて「どうすれば幸福になれるか」を読み合わせて感想をシェアし合いました。

で、それぞれのグループで進度がバラバラになってしまったので今回は一つのグループで「不幸の要因は失望であり、失望は無知が要因である」というところから始めたいと思います。ロバートの場合まで。。

意外とみんなで意見を出し合うとそれなりに読めるもので、皆さんの意見を拝聴しながら感心していました。

以下少々抜粋しておきます。

**********************

たいていの場合、不幸の直接の要因は失望である。そして大半の失望は無知が要因で生まれる。

法を知らなかったからといって犯した罪を免れることができないように、人生においても無知はもやは不幸の言い訳として通用しないだろう。人間性に関わるあらゆることに目覚めて関心を持ち、知識を深め、新しい刺激に対する感受性を磨くことが完璧な人間をつくりあげるという芸術の第一歩である。失望は不幸な人生に共通の特徴である。

残念なことに失望と無知はとくに若い時に多い。本来は若いとき賢く勇気を持って生きることができれば非常に有利になるのだが、ところがわれわれは、批判能力や体力がもっとも低いレベルにあるときに自己彫刻を開始する。われわれがデザインとして借用する理想像は、間違った価値観によって歪められている。成長し学ぶとともに能力もアップするが間違った理想像が無意識のうちに人生のパターンとして固定されたまま残っている。同じようにその理想に到達するテクニックも固定したままである。

われわれの目標もテクニックも、現実とはまったく調和していない。こんな風では不幸である。古い間違ったパターンで古い間違った目標に向かってひたすら努力を重ねていく。不幸が積み重なってどんどん不幸になる。間違った理想、貧弱な技能がお互いに足を引っ張り合うように、とめどもない悪循環を繰りかえすだけである、これこそ無知の悲劇だ。

*************************

「古い間違ったパターンで古い間違った目標に向かってひたすら努力を重ねていく」
ー不幸になる人生を歩む人はライフスタイルについて知り、間違った目標やパターンを変えていくことが求められるということなんでしょう。

「自分の間違いに気が付くこと」−失敗は何度かあると思うけれど、そんなときこそ「勇気づける人」がそばにいてくれること。。ここで「勇気をくじく人」にはならないようにしたい。

私の普段感じていることだけれど、東北の人たちはほかの地域の人たちが想像できないほどの「根深い劣等感」を持っていると思う。そして「震災」がさらにそれを深める結果になったとも感じている。

この劣等感は建設的方向へ行けばものすごい力を発揮することだろう。

だからまず同じ東北の人間として寄り添っていくことを決めたのである。この選択は間違っているかもしれないし間違っていないかもしれない。間違っていたとしても別にかまわない、いつでも方向転換はできるのだから。

最終的に共同体全体への貢献につながればOKと思っている。
posted by 高橋直子 at 05:15| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月14日

不安という感情の使い方あれこれ・・・。

「不安」という感情ーすなわち起こるであろうまたは起こり得るかもしれない未来に対して自分の準備がどの程度できているか、足りないと感じれば「焦り」を伴って時に起こる感情が「不安」です。

「不安」は「準備不足を補うための行動に人を促す」という目的で使用される。

自分一人の問題であれば、自分で準備に取り掛かればいいのですが、どう準備したらいいのか具体的に考えられる人考えられない人それぞれあるようです。

私はライフスタイル分類で行くと「失敗してはならない」というコントローラーという特質を持っているので、少しでも「不安」を感じると早め早めに手を打つことにしています。
しかも考えられるだけのあらゆる可能性を全部ピックアップして不安の種を払しょくすることに力を注ぐ。(笑)

ところが共同の問題となるとこうはいかない。(昨日のメルマガで配信した通りです。)

「不安」を抱えたままイライラしているだけの方もおられるし、何とかなるだろうとか、誰かがやってくれるだろうと「不安」を見ないふりをして対処を先送りするいる方もいます。

経験から学んで育ってきているいるかどうか、失敗からこそ「想像力は培われる」が、失敗から何を学ん育ってきているか。。

「子どもの問題を子供に考えさせ自分で対処させる」−言われて見ればその通りと思われるかもしれません。

が、体験から学ぶということがほとんどなく「失敗しないように先へ先へと手を出し、口を出す」−下手をするとそれが愛情だと思っている親御さん、子どもは無力だと思っていたり、保護するもの手をかけるものだと思っている大人がそばにいて「大事に大事に」育てられた人は、先を見通して対処するのは大人であり自分ではないと思っておられるのかもしれません。

「不安」を払しょくしたい人間と、「不安」にどう対処したらいいのか経験から学んでいない人間のコラボは家族のみならず職場でもあるんだろうと思います。

だからこそ「話し合い」「意志を確認し合い」「歩み寄り」が必要なんだな〜と思うんです。それぞれみんな違うんだから。。

「不安」という感情を上手に使ってより良い方向へ、、と行きたいものです。

ちなみに昨日のメルマガでは私の失敗しそうになった経験を書きました。

あの場合にはどうすればよかったかというと「自分の不安を伝えること」と「どうしたらいいのか一緒に考えてやっていきたい」を伝えること。だったんだろう、、と思います。

メルマガの購読はこちらからどうぞ。(^‐^)
http://adora-tohoku.sakura.ne.jp/index.php?%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%AC%E3%82%BF%E3%83%BC
posted by 高橋直子 at 05:34| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月13日

土俵から降りる・上がらないという選択肢

昨日この3年ぐらいずっとメールのやり取りだけというクライアントさんから久しぶりにメールをいただきました。
怖くて「嫌われる勇気」が読めないとおっしゃっていて、でもこの2月に読んでみた感想をお寄せくださいました。

コンパクトにまとめられたその感想と、自分とのオーバラップについての観察はなるほどと思わせられるものがあり、最初にメールをいただいた時の印象とはうって変わってご本人からは晴れやかな印象を持ちました。

とても背の高いこと・でも運動が全くできない自分に対しての他者の挑発だったり蔑みだったりの意味がわかり「土俵から降りる勇気」を持った自分は間違っていなかったと思うと結ばれておりました。

「優越であろうとするあまり同じ土俵に踏みとどまること」をなさる方は多いですね。
また土俵の上から「上がってこい!」とゴングを鳴らす方も結構いらっしゃいます。

私自身はどうかというと、相手の意志は意志としてどうぞ、という感じです。否定する気持は起こらないです。だってその人の選択だものね。

そして、自分自身は、土俵を降りて相手のいる土俵とは遠ざかり、自分で土俵を作るなり、、という決断を下すことが多くなってきています。

また「嫌われる勇気」を読んでみたくなりました。
実家の母に上げてしまったので、また買わないとね。。(笑)

私の予想としては「嫌われる勇気」は、ベストセラーのみならずロングセラーになる予感がしています。

51yZHxDwl5L__SL500_AA300_.jpg
posted by 高橋直子 at 06:14| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする