こんにちは、仙台・盛岡・郡山でアドラー心理学のセミナーを開催しているアドラー東北の高橋です。
今日は最後の「うるさい!」です。
この言葉が他者に使われると「拒絶」に受け取られます。
だまれ!ということです。
言葉にしなくても態度で出ることもあります。
「無視」したり「後ろをくるっと向く」など完全に相手を否定する態度です。
放っておいてほしい・・が受け入れられないとこの態度に私は出ていました。
もちろん「うるさい!」とは口に出して言わないのですが、相手から去っていました。
他者との関係がうまく築けないと感じている人には、他者との距離の取り方がわからないということが一つの問題としてあげられると思います。
ぐいぐい他者との距離を詰めてしまったり、それが親しさの現れであると思ってしまうのです。
心地よい距離というのは一人一人違います。
どの距離がいいのかは、相手との関係の中で探っていくしかありません。
それを「みんなに同じ」にしてしまい、これが自分だ(自分らしさ)だと勘違いしてしまうと他者との軋轢を起こします。
詰められるのが嫌な気持ちになる人もおられるのです。
その辺がわかるまで失敗の連続でした。
いくらか距離が上手くとれるようになったかな・・相手に巻き込まれることが少なくなったかなと感じたのは「課題の分離」を学んでからです。
それは相手の問題と考えると踏み込むのをとどまることができます。口を出すのも「ま、相手の問題だし。。」と考えてやめることができます。
で、私の性格としてどうも頼られることが多い、頼る人はまとわりつきます。
しかし、まとわりつかれるのは嫌だと私自身は思っていて、ついつい「うるさい」と思ってしまい
それを態度で示すので、相手は嫌われたと思い。。
のパターンがあったように思います。
纏わりつかせないように最初から距離を詰めてしまったりを気を付ければいいのです。
これはいまだに自分の課題だったりします。
いずれにしても他者関係は相手のあること、そして人は一人一人違うわけですから
自分なりのボーダーと注意点を見つけて対応していくこと。
その辺のコツが実に簡潔にアドラー心理学を学んでいるとできてきます。
巻き込まれる人ー多いですね。
なぜかというとNOを言えないという事もあるんだろうと。。
実際のところNOを言っても嫌われないのですが、相手に悪いとか罪悪感を持ってしまう人。
罪悪感を持つ必要は全くないのですよね。
なぜかというとNOを言うケースというのは相手が自分の課題を受け持ってくれないか?というパターンがほとんどだからです。
相手の課題は本来相手が解決すべきことなので、自分が引き受ける必要は最初からないのです。
その辺がすっきり腑に落ちると気分も楽です。
うるさい!という事もほとんどなくなりました。
煩わしい気持ちを手放してみませんか?
アドラー心理学講座はアドラー東北で
http://adora-tohoku.sakura.ne.jp
2015年11月20日
2015年11月19日
放っておいて・・。
こんにちは。仙台・盛岡・郡山でアドラー心理学のセミナーを開催しているアドラー東北の高橋です。
自分の事で精一杯だった父と母。
兄弟の中で一番上だった私は自然と家の中のことを母の代わりにやることになりました。
自分の事も精いっぱいだったのですが、時間が来たらご飯を食べさせなきゃ、洗濯物を取り込まなきゃ。
お弁当・・作らなきゃ。。と今考えてもどうやって時間をやりくりしていたのかわからないほどでした。
習い事も多かったし、学校の生徒会などの活動もあったので、ほとんど自分の時間がなく、毎日行きつく暇がなかったように記憶しています。
そんな私がもうすべてが嫌になったと感じたのは中学三年のころです。
生徒会もお役御免になり、いざ受験となってしまった時、何もしていない自分に気が付きました。
そこそこ成績もよかったので、それをいいことにわからないことを放置していた結果が中学三年の後半に来ました。
中三の夏休みは部活二つのかけもちと、一か月不在の母に代わっての家事と、習い事が続き、秋にはとうとう脱力感に襲われるようになり、時間があればほーっと自分の部屋で何をするともなく過ごすことが多くなっていました。
で、成績の伸びない・できていないことを叱責され、自分の中で何かがぷつんと切れました。
もういいや・・・と。。
そのころからなんとなく「放っておいて。。」という言葉が多くなったかなと思います。
もちろん人に対してはっきりとは口に出さないのですが、一人で部屋に籠って「放っておいて」と
何度もつぶやいていた記憶はあります。
それはアドラー心理学を学び始めてもしばらくはありました。
人と関わることが疲れるし、面倒だし、うるさく感じて一人になりたくなるのです。
ですので、対人関係においてかなり自己中心的に人と関わっていたと思います。
自分が付き合いたいときには付き合ってほしい、でも嫌な時は放っておいてほしい。
とても都合のいい関係を相手に望んでいたのでしょう。
最近は一人の時間を大事にするのも自分らしさ、でも人ともちゃんとお付き合いできるし、相手も気持ちも察することができるし、理解できるし、楽しく過ごせる。
それでいいんだなと思っています。
自分の心地よさは一人一人違います。
自分に無理がないことは大事なポイントのように感じています。
そんな自分らしさを発見できるのも、アドラー心理学のすごさというか、、
ありのままの自分を認めることができるのです。
アドラー心理学はアドラー東北で毎月学ぶことができます。
自分らしさ再発見してみませんか?
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自分の事で精一杯だった父と母。
兄弟の中で一番上だった私は自然と家の中のことを母の代わりにやることになりました。
自分の事も精いっぱいだったのですが、時間が来たらご飯を食べさせなきゃ、洗濯物を取り込まなきゃ。
お弁当・・作らなきゃ。。と今考えてもどうやって時間をやりくりしていたのかわからないほどでした。
習い事も多かったし、学校の生徒会などの活動もあったので、ほとんど自分の時間がなく、毎日行きつく暇がなかったように記憶しています。
そんな私がもうすべてが嫌になったと感じたのは中学三年のころです。
生徒会もお役御免になり、いざ受験となってしまった時、何もしていない自分に気が付きました。
そこそこ成績もよかったので、それをいいことにわからないことを放置していた結果が中学三年の後半に来ました。
中三の夏休みは部活二つのかけもちと、一か月不在の母に代わっての家事と、習い事が続き、秋にはとうとう脱力感に襲われるようになり、時間があればほーっと自分の部屋で何をするともなく過ごすことが多くなっていました。
で、成績の伸びない・できていないことを叱責され、自分の中で何かがぷつんと切れました。
もういいや・・・と。。
そのころからなんとなく「放っておいて。。」という言葉が多くなったかなと思います。
もちろん人に対してはっきりとは口に出さないのですが、一人で部屋に籠って「放っておいて」と
何度もつぶやいていた記憶はあります。
それはアドラー心理学を学び始めてもしばらくはありました。
人と関わることが疲れるし、面倒だし、うるさく感じて一人になりたくなるのです。
ですので、対人関係においてかなり自己中心的に人と関わっていたと思います。
自分が付き合いたいときには付き合ってほしい、でも嫌な時は放っておいてほしい。
とても都合のいい関係を相手に望んでいたのでしょう。
最近は一人の時間を大事にするのも自分らしさ、でも人ともちゃんとお付き合いできるし、相手も気持ちも察することができるし、理解できるし、楽しく過ごせる。
それでいいんだなと思っています。
自分の心地よさは一人一人違います。
自分に無理がないことは大事なポイントのように感じています。
そんな自分らしさを発見できるのも、アドラー心理学のすごさというか、、
ありのままの自分を認めることができるのです。
アドラー心理学はアドラー東北で毎月学ぶことができます。
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2015年11月18日
「くだらない」という評価
こんにちは、仙台・盛岡・郡山でアドラー心理学のセミナーを開催しているアドラー東北の高橋です。
昨日の記事の続きです。
「くだらない」−父の良く使っている言葉でした。
家族みんなが言われていました。
自分が何かしたいと思った時、こういわれるのが嫌で隠れてやっていたものです。
また母はよく外出するときに「何の用で?」と聞かれ答えると「くだらない」と言われるのが常でしたので
いつも黙って出かけていました。
それはそれで子供の私たちにも不具合が生じます。
帰宅しても母が不在で、どこへ行ったのか?いつ帰宅するのか?などまったくわからなかったからです。
夕方になって弟や妹がおなかをすかせていて、そろそろ夕食の支度をしなければならないけれど、母が帰ってこない・・そんなとき冷蔵庫を見て、自分で台所に立つのは本当に大変でした。
夕食の支度をしていると父が帰宅して母のことを聴きます。
「どこへ行ったんだ?」
知らないので答えようがありません。
それで父に文句を言われます。
父の「くだらない」の一言は母を黙って外出させ、家族全員にひそかに自分のやりたいことを隠れてやりという家族の形を作っていました。
父は学校でも有名な厳しい教師だったので、家でも「評価」をしていたのです。
自分の物差しでいいとか悪いとか、ためになるとか役に立たないとか。。
だから外へ食事に行っても誰も父の決めたメニューに文句を言わず、だまって食べ、父に勧められた本を読み、テレビを見て。。
そんな生活は中学が終わるまで続きました。
今の父も基本的には変わりません。
そして覚える気もないのに何度も同じことを訪ねます。
とても面倒に感じて、評価されるのも嫌だし、みな自分のことはあまり話さないようになっていったと思っています。
でそれを自分が使っていることにアドラー心理学を学び始めてから私は気が付きました。
「それがなんの役に立つの?」と。。
形を変えてはいましたが、確かに「そんなことをしても意味がないんじゃない?」の意味ですよね。
「自分にとって価値があるかどうかは自分が決める」
それは相手にとっても同じことなのに・・。
今は「評価」はしませんし、相手の選択、行動にも自分の定規でもって測ることはやめました。
評価で育ってきた人はわたしに「評価」を求めることがありますが
「それはあなたが決めたこと!決めること!」で済ませています。
そのことの結果を引き受ける力が相手にあると思えるからです。
自分を評価もしませんし、評価する人がわかりますので、そういうことからは距離を置くようになりました。
それだけで相手も自分もとても自由な気持ちでお付き合いできます。
もちろんそのことに伴う責任は付随するわけですが、そんなことは自分の自由を得られている心の穏やかさと比べたら取るに足りないことでもあると感じています。
「評価」は上から下の関係になされるものです。
アドラー心理学のヨコの関係とはかけ離れた方法です。
もしも自分がそういう価値観のまま気が付かずにいたら今の自分はないなと感じています。
あなたの周りにもそしてあなたも「評価」は常に付きまとっています。特に仕事上は仕方がない。
でもそれは「仕事の部分だけ」、「人その人・人格」に評価はやめたいものですね。
アドラー心理学を学ぶと自分への気づきがたくさん得られます。いつからでもより良き人生へ方向転換できます。ぜひアドラーの世界を多くの人に知っていただきたいと思うのです。
アドラー心理学を学ぶならアドラー東北へ
http://adora-tohoku.sakura.ne.jp
昨日の記事の続きです。
「くだらない」−父の良く使っている言葉でした。
家族みんなが言われていました。
自分が何かしたいと思った時、こういわれるのが嫌で隠れてやっていたものです。
また母はよく外出するときに「何の用で?」と聞かれ答えると「くだらない」と言われるのが常でしたので
いつも黙って出かけていました。
それはそれで子供の私たちにも不具合が生じます。
帰宅しても母が不在で、どこへ行ったのか?いつ帰宅するのか?などまったくわからなかったからです。
夕方になって弟や妹がおなかをすかせていて、そろそろ夕食の支度をしなければならないけれど、母が帰ってこない・・そんなとき冷蔵庫を見て、自分で台所に立つのは本当に大変でした。
夕食の支度をしていると父が帰宅して母のことを聴きます。
「どこへ行ったんだ?」
知らないので答えようがありません。
それで父に文句を言われます。
父の「くだらない」の一言は母を黙って外出させ、家族全員にひそかに自分のやりたいことを隠れてやりという家族の形を作っていました。
父は学校でも有名な厳しい教師だったので、家でも「評価」をしていたのです。
自分の物差しでいいとか悪いとか、ためになるとか役に立たないとか。。
だから外へ食事に行っても誰も父の決めたメニューに文句を言わず、だまって食べ、父に勧められた本を読み、テレビを見て。。
そんな生活は中学が終わるまで続きました。
今の父も基本的には変わりません。
そして覚える気もないのに何度も同じことを訪ねます。
とても面倒に感じて、評価されるのも嫌だし、みな自分のことはあまり話さないようになっていったと思っています。
でそれを自分が使っていることにアドラー心理学を学び始めてから私は気が付きました。
「それがなんの役に立つの?」と。。
形を変えてはいましたが、確かに「そんなことをしても意味がないんじゃない?」の意味ですよね。
「自分にとって価値があるかどうかは自分が決める」
それは相手にとっても同じことなのに・・。
今は「評価」はしませんし、相手の選択、行動にも自分の定規でもって測ることはやめました。
評価で育ってきた人はわたしに「評価」を求めることがありますが
「それはあなたが決めたこと!決めること!」で済ませています。
そのことの結果を引き受ける力が相手にあると思えるからです。
自分を評価もしませんし、評価する人がわかりますので、そういうことからは距離を置くようになりました。
それだけで相手も自分もとても自由な気持ちでお付き合いできます。
もちろんそのことに伴う責任は付随するわけですが、そんなことは自分の自由を得られている心の穏やかさと比べたら取るに足りないことでもあると感じています。
「評価」は上から下の関係になされるものです。
アドラー心理学のヨコの関係とはかけ離れた方法です。
もしも自分がそういう価値観のまま気が付かずにいたら今の自分はないなと感じています。
あなたの周りにもそしてあなたも「評価」は常に付きまとっています。特に仕事上は仕方がない。
でもそれは「仕事の部分だけ」、「人その人・人格」に評価はやめたいものですね。
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