2015年11月18日

「くだらない」という評価

こんにちは、仙台・盛岡・郡山でアドラー心理学のセミナーを開催しているアドラー東北の高橋です。



昨日の記事の続きです。



「くだらない」−父の良く使っている言葉でした。



家族みんなが言われていました。



自分が何かしたいと思った時、こういわれるのが嫌で隠れてやっていたものです。



また母はよく外出するときに「何の用で?」と聞かれ答えると「くだらない」と言われるのが常でしたので

いつも黙って出かけていました。



それはそれで子供の私たちにも不具合が生じます。

帰宅しても母が不在で、どこへ行ったのか?いつ帰宅するのか?などまったくわからなかったからです。



夕方になって弟や妹がおなかをすかせていて、そろそろ夕食の支度をしなければならないけれど、母が帰ってこない・・そんなとき冷蔵庫を見て、自分で台所に立つのは本当に大変でした。



夕食の支度をしていると父が帰宅して母のことを聴きます。

「どこへ行ったんだ?」



知らないので答えようがありません。

それで父に文句を言われます。



父の「くだらない」の一言は母を黙って外出させ、家族全員にひそかに自分のやりたいことを隠れてやりという家族の形を作っていました。



父は学校でも有名な厳しい教師だったので、家でも「評価」をしていたのです。



自分の物差しでいいとか悪いとか、ためになるとか役に立たないとか。。



だから外へ食事に行っても誰も父の決めたメニューに文句を言わず、だまって食べ、父に勧められた本を読み、テレビを見て。。



そんな生活は中学が終わるまで続きました。

今の父も基本的には変わりません。



そして覚える気もないのに何度も同じことを訪ねます。

とても面倒に感じて、評価されるのも嫌だし、みな自分のことはあまり話さないようになっていったと思っています。



でそれを自分が使っていることにアドラー心理学を学び始めてから私は気が付きました。



「それがなんの役に立つの?」と。。

形を変えてはいましたが、確かに「そんなことをしても意味がないんじゃない?」の意味ですよね。



「自分にとって価値があるかどうかは自分が決める」

それは相手にとっても同じことなのに・・。



今は「評価」はしませんし、相手の選択、行動にも自分の定規でもって測ることはやめました。



評価で育ってきた人はわたしに「評価」を求めることがありますが

「それはあなたが決めたこと!決めること!」で済ませています。



そのことの結果を引き受ける力が相手にあると思えるからです。



自分を評価もしませんし、評価する人がわかりますので、そういうことからは距離を置くようになりました。

それだけで相手も自分もとても自由な気持ちでお付き合いできます。



もちろんそのことに伴う責任は付随するわけですが、そんなことは自分の自由を得られている心の穏やかさと比べたら取るに足りないことでもあると感じています。



「評価」は上から下の関係になされるものです。

アドラー心理学のヨコの関係とはかけ離れた方法です。



もしも自分がそういう価値観のまま気が付かずにいたら今の自分はないなと感じています。



あなたの周りにもそしてあなたも「評価」は常に付きまとっています。特に仕事上は仕方がない。

でもそれは「仕事の部分だけ」、「人その人・人格」に評価はやめたいものですね。



アドラー心理学を学ぶと自分への気づきがたくさん得られます。いつからでもより良き人生へ方向転換できます。ぜひアドラーの世界を多くの人に知っていただきたいと思うのです。



アドラー心理学を学ぶならアドラー東北へ

http://adora-tohoku.sakura.ne.jp

posted by 高橋直子 at 15:42| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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