2015年11月26日

「SMILEはおならのはじまり?」

こんにちは。仙台・盛岡・郡山でアドラー心理学のセミナーを開催しているアドラー東北の高橋です。

21日土曜日は盛岡会場で最終回のSMILEと基礎講座を開催しておりました。



勉強会を含めてのご参加者7名でその後懇親会を行いました。

美味しいワインやらイタリア料理をいただきながら和気あいあいと楽しい時間を過ごすことができ、4回を頑張って通ってくださった皆様の熱意に感動をいただきました。

ご参加の皆様、ありがとうございました。



さてそのSMILE最終回では、新しい家族のあり方ということを第7章で、そしてSMILEのまとめを第8章で学びます。



新しい家族のあり方の中には、これからの家族の雰囲気、家族の価値はどうあればいいのか、ということについて取り上げています。



子どもと親の関係はヨコの関係に・・ということがSMILEを学習してくると出てくるのですが、7章ではこのあたりについて1ページを割いてはっきりとテキストに述べられています。



テキストはあなたへの6つの質問から始まります。

なぜ?なぜ?なぜ?の連続です。



なぜあなたは子どもに手だし・口だしするのか?

なぜついカッとなって叱るのか?

なぜ命令口調で攻撃的になるのか?

なぜ子どもが言うことをきかないと感情的になるのか?

なぜ子どもの将来を心配ばかりしているのか?

なぜ子どもに答えを教えてしまうのか?



これらの質問はお子さんへの対応に今現在悩んでおられる方たちには、胸にいたいことばかりです。



そしてそれは・・・と続きます。



これらの問いの答えは、すべてあなたが「私は子どもより優れており、子どもは私より劣っている」と信じているということです。



子どもは生まれてから毎日成長している。ところであなたは子どもを産んだ日から成長していますか?



と続きます。



テキストの中でもこの部分だけは厳しい書き方をしているなと私は感じていますが、早く「縦の関係」から「横の関係」へ脱却しましょうと、いう強い主張がこの部分にはあふれていると感じます。



ヨコの関係、親も子も友であり仲間である、ということですが



もしかしたら縦の関係でいる親の気持ちとしては



「親なんだから子供の前では完璧であってしかるべき」「ちゃんとした親でいなければ」



という気持ちが強いのかもしれない?と感じました。



それは失敗した姿や弱虫の部分や、恥ずかしい部分を見せるなんて・・できない。というように、、

「完璧であろうとする」という気持ちのほうが強いかもしれないと・・・。

外に対してもそうであろうとする・それが縦の関係に現れる。。



などなど考えさせられることがたくさんある部分です。



子どもの側からすると・もちろん立派な親は尊敬に値し、素敵であり、自慢であるかもしれないが、、横の関係にもっていくのであれば、もう少しフランクで近寄りやすく、、があったほうが親近感が増すんですよね。



それで、テキストの厳しさ&ヨコの関係に・・と言われてもなかなかなのよねえ・・・と、そんな風に今回は思ってしまったので、思わず受講され立皆さんへこんな問いを発してしまったのでした。



「みなさん、ご家族の前でおならができますか?ぶう〜〜〜〜っつと大きなおならしますか?」と。



問われた方たちのお答えについては名誉にかかわるかもしれないので?(笑)、書きませんが、思わずどっと笑いが起きたところをみると不意をつかれて・・グサッツ・ムムム・・な気持ちがホッと緩んだかもしれません。



タイトルの「SMILEはおならである」よりも「おならはSMILEのはじまり」のほうがいいかも・・・とこの文章を書きながら、この最後に来てそんな風に思いました。



「完璧を見せようとせず、不完全でもありのままの自分・お母さん・お父さんでいる。」ことが子ども自身にも「ありのままの自分でいい」ということを伝える方法のひとつではないか。。



というニュアンスをくみ取っていただけますとうれしいです。

(文章力のなさにがっかりすることも多いのですが・・

申し訳ありません。^-^;;)



今回もお読みいただきありがとうございました。

次回はSMILEを実践された秋田のSさんの心温まるエピソードをお伝えしようと思っています。お楽しみに。



29日の仙台会場・懇親会受け付けています。現在14名・どなたでもご参加OKです。アエル一階ロビーに3:50分集合・高橋までご一報くださいませ。



配信先

アドラー東北

htttp://adora-tohoku.sakura.ne.jp
posted by 高橋直子 at 16:36| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月20日

[ 「うるさい!」の気持ち。。

こんにちは、仙台・盛岡・郡山でアドラー心理学のセミナーを開催しているアドラー東北の高橋です。



今日は最後の「うるさい!」です。



この言葉が他者に使われると「拒絶」に受け取られます。

だまれ!ということです。



言葉にしなくても態度で出ることもあります。

「無視」したり「後ろをくるっと向く」など完全に相手を否定する態度です。



放っておいてほしい・・が受け入れられないとこの態度に私は出ていました。

もちろん「うるさい!」とは口に出して言わないのですが、相手から去っていました。



他者との関係がうまく築けないと感じている人には、他者との距離の取り方がわからないということが一つの問題としてあげられると思います。



ぐいぐい他者との距離を詰めてしまったり、それが親しさの現れであると思ってしまうのです。



心地よい距離というのは一人一人違います。



どの距離がいいのかは、相手との関係の中で探っていくしかありません。

それを「みんなに同じ」にしてしまい、これが自分だ(自分らしさ)だと勘違いしてしまうと他者との軋轢を起こします。



詰められるのが嫌な気持ちになる人もおられるのです。



その辺がわかるまで失敗の連続でした。



いくらか距離が上手くとれるようになったかな・・相手に巻き込まれることが少なくなったかなと感じたのは「課題の分離」を学んでからです。



それは相手の問題と考えると踏み込むのをとどまることができます。口を出すのも「ま、相手の問題だし。。」と考えてやめることができます。



で、私の性格としてどうも頼られることが多い、頼る人はまとわりつきます。

しかし、まとわりつかれるのは嫌だと私自身は思っていて、ついつい「うるさい」と思ってしまい

それを態度で示すので、相手は嫌われたと思い。。



のパターンがあったように思います。



纏わりつかせないように最初から距離を詰めてしまったりを気を付ければいいのです。

これはいまだに自分の課題だったりします。



いずれにしても他者関係は相手のあること、そして人は一人一人違うわけですから

自分なりのボーダーと注意点を見つけて対応していくこと。



その辺のコツが実に簡潔にアドラー心理学を学んでいるとできてきます。



巻き込まれる人ー多いですね。

なぜかというとNOを言えないという事もあるんだろうと。。



実際のところNOを言っても嫌われないのですが、相手に悪いとか罪悪感を持ってしまう人。



罪悪感を持つ必要は全くないのですよね。



なぜかというとNOを言うケースというのは相手が自分の課題を受け持ってくれないか?というパターンがほとんどだからです。



相手の課題は本来相手が解決すべきことなので、自分が引き受ける必要は最初からないのです。



その辺がすっきり腑に落ちると気分も楽です。



うるさい!という事もほとんどなくなりました。

煩わしい気持ちを手放してみませんか?



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posted by 高橋直子 at 16:17| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月19日

放っておいて・・。

こんにちは。仙台・盛岡・郡山でアドラー心理学のセミナーを開催しているアドラー東北の高橋です。



自分の事で精一杯だった父と母。



兄弟の中で一番上だった私は自然と家の中のことを母の代わりにやることになりました。



自分の事も精いっぱいだったのですが、時間が来たらご飯を食べさせなきゃ、洗濯物を取り込まなきゃ。



お弁当・・作らなきゃ。。と今考えてもどうやって時間をやりくりしていたのかわからないほどでした。



習い事も多かったし、学校の生徒会などの活動もあったので、ほとんど自分の時間がなく、毎日行きつく暇がなかったように記憶しています。



そんな私がもうすべてが嫌になったと感じたのは中学三年のころです。



生徒会もお役御免になり、いざ受験となってしまった時、何もしていない自分に気が付きました。

そこそこ成績もよかったので、それをいいことにわからないことを放置していた結果が中学三年の後半に来ました。



中三の夏休みは部活二つのかけもちと、一か月不在の母に代わっての家事と、習い事が続き、秋にはとうとう脱力感に襲われるようになり、時間があればほーっと自分の部屋で何をするともなく過ごすことが多くなっていました。



で、成績の伸びない・できていないことを叱責され、自分の中で何かがぷつんと切れました。



もういいや・・・と。。



そのころからなんとなく「放っておいて。。」という言葉が多くなったかなと思います。

もちろん人に対してはっきりとは口に出さないのですが、一人で部屋に籠って「放っておいて」と

何度もつぶやいていた記憶はあります。



それはアドラー心理学を学び始めてもしばらくはありました。

人と関わることが疲れるし、面倒だし、うるさく感じて一人になりたくなるのです。



ですので、対人関係においてかなり自己中心的に人と関わっていたと思います。

自分が付き合いたいときには付き合ってほしい、でも嫌な時は放っておいてほしい。



とても都合のいい関係を相手に望んでいたのでしょう。



最近は一人の時間を大事にするのも自分らしさ、でも人ともちゃんとお付き合いできるし、相手も気持ちも察することができるし、理解できるし、楽しく過ごせる。



それでいいんだなと思っています。



自分の心地よさは一人一人違います。

自分に無理がないことは大事なポイントのように感じています。



そんな自分らしさを発見できるのも、アドラー心理学のすごさというか、、

ありのままの自分を認めることができるのです。



アドラー心理学はアドラー東北で毎月学ぶことができます。

自分らしさ再発見してみませんか?



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posted by 高橋直子 at 16:32| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月18日

「くだらない」という評価

こんにちは、仙台・盛岡・郡山でアドラー心理学のセミナーを開催しているアドラー東北の高橋です。



昨日の記事の続きです。



「くだらない」−父の良く使っている言葉でした。



家族みんなが言われていました。



自分が何かしたいと思った時、こういわれるのが嫌で隠れてやっていたものです。



また母はよく外出するときに「何の用で?」と聞かれ答えると「くだらない」と言われるのが常でしたので

いつも黙って出かけていました。



それはそれで子供の私たちにも不具合が生じます。

帰宅しても母が不在で、どこへ行ったのか?いつ帰宅するのか?などまったくわからなかったからです。



夕方になって弟や妹がおなかをすかせていて、そろそろ夕食の支度をしなければならないけれど、母が帰ってこない・・そんなとき冷蔵庫を見て、自分で台所に立つのは本当に大変でした。



夕食の支度をしていると父が帰宅して母のことを聴きます。

「どこへ行ったんだ?」



知らないので答えようがありません。

それで父に文句を言われます。



父の「くだらない」の一言は母を黙って外出させ、家族全員にひそかに自分のやりたいことを隠れてやりという家族の形を作っていました。



父は学校でも有名な厳しい教師だったので、家でも「評価」をしていたのです。



自分の物差しでいいとか悪いとか、ためになるとか役に立たないとか。。



だから外へ食事に行っても誰も父の決めたメニューに文句を言わず、だまって食べ、父に勧められた本を読み、テレビを見て。。



そんな生活は中学が終わるまで続きました。

今の父も基本的には変わりません。



そして覚える気もないのに何度も同じことを訪ねます。

とても面倒に感じて、評価されるのも嫌だし、みな自分のことはあまり話さないようになっていったと思っています。



でそれを自分が使っていることにアドラー心理学を学び始めてから私は気が付きました。



「それがなんの役に立つの?」と。。

形を変えてはいましたが、確かに「そんなことをしても意味がないんじゃない?」の意味ですよね。



「自分にとって価値があるかどうかは自分が決める」

それは相手にとっても同じことなのに・・。



今は「評価」はしませんし、相手の選択、行動にも自分の定規でもって測ることはやめました。



評価で育ってきた人はわたしに「評価」を求めることがありますが

「それはあなたが決めたこと!決めること!」で済ませています。



そのことの結果を引き受ける力が相手にあると思えるからです。



自分を評価もしませんし、評価する人がわかりますので、そういうことからは距離を置くようになりました。

それだけで相手も自分もとても自由な気持ちでお付き合いできます。



もちろんそのことに伴う責任は付随するわけですが、そんなことは自分の自由を得られている心の穏やかさと比べたら取るに足りないことでもあると感じています。



「評価」は上から下の関係になされるものです。

アドラー心理学のヨコの関係とはかけ離れた方法です。



もしも自分がそういう価値観のまま気が付かずにいたら今の自分はないなと感じています。



あなたの周りにもそしてあなたも「評価」は常に付きまとっています。特に仕事上は仕方がない。

でもそれは「仕事の部分だけ」、「人その人・人格」に評価はやめたいものですね。



アドラー心理学を学ぶと自分への気づきがたくさん得られます。いつからでもより良き人生へ方向転換できます。ぜひアドラーの世界を多くの人に知っていただきたいと思うのです。



アドラー心理学を学ぶならアドラー東北へ

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posted by 高橋直子 at 15:42| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月17日

面倒くさい・くだらない・うるさい・放っておいて

こんにちは、仙台・盛岡・郡山でアドラー心理学のセミナーを開催しているアドラー東北の高橋です。



「面倒くさい」「くだらない」「放っておいて」「うるさい」



これは私の口癖でした。(過去形)



今はほとんど出ませんが、アドラー心理学を学ぶ前は良く口をついて出ていました。



そのうちの今日は「面倒くさい」という言葉について書いてみます。



「面倒くさい」−やりたくない・迷惑だから持ち込まないで・・という気持ちだったんだと思います。

わたしの邪魔をしないで・・です。



家族の誰かが何か問題を起こしたとき、自分がそれを解決しないと・・となるとこの言葉が出てきました。



また地域とのかかわりで自分が出かけたり役を受けたり。。そんな時もこんな気持ちでいました。



自分のやりたいことだけやりたいようにやれるときが自分にとっては快適で、自分が自分でのぞんでいないことを引き受けるのが嫌だったのです。



「協力」という事とは無縁の自分がそこにいたのでした。



で、振り返ってみると家族の中でこの言葉を連発していたのは「父」であり、また「母」でありました。



私は二人を長らく受け入れられないでいたのですが、今は理解することが可能になりました。



父や母はどんな気持ちでこの言葉を使っていたのか・・と考えると、「自分の事で精いっぱいだからこれ以上負担を増やさないで・・。やることを増やさないで。。」という気持ちだったのかもしれません。



「自分の事だけ」、すなわち自己中心的な考え方であり、自分がよければOKであり、そこには他者、家族は存在しません。



今は私自身がどう考えているかというと



「家族だから自分の意に染まないことも協力して解決へ向かっていこう」という風にシフトしています。

もちろん、本人に解決してもらうことが前提ですのでまずは「勇気づけ」て自分で解決してもらうことを提案します。



そのうえで私にできることがあれば協力するから言ってちょうだいと伝えるのです。

そして協力を求められたとき進んで協力する自分が今はここにいます。



以前とは全然別の自分。



もしも家族の誰かが困っていた時、面倒だと感じて放っておく、関わらないでおく、そうされたらどう思うのか・・。



他者に対する「共感」という気持ちが私には完全にかけていました。

長い時間がかかったけれど、そんなことも含めてのアドラー心理学の実践は、ささやかでも確実に私を進歩させてくれています。



こういった言葉の数々・自分がつい行ってしまう言葉の数々はある共通項があります。

それぞれの言葉と向き合い考えていくうえで気が付いていく方もおられるかもしれませんね。



アドラー心理学と出会い日々その実践方法を試行錯誤するのはまさに自分を知り・自分育て・自分磨きです。



ぜひピカピカのあなたになってくださいね。
磨けばだれでも光ります。



アドラー心理学講座はアドラー東北で

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posted by 高橋直子 at 16:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする