2015年11月19日

放っておいて・・。

こんにちは。仙台・盛岡・郡山でアドラー心理学のセミナーを開催しているアドラー東北の高橋です。



自分の事で精一杯だった父と母。



兄弟の中で一番上だった私は自然と家の中のことを母の代わりにやることになりました。



自分の事も精いっぱいだったのですが、時間が来たらご飯を食べさせなきゃ、洗濯物を取り込まなきゃ。



お弁当・・作らなきゃ。。と今考えてもどうやって時間をやりくりしていたのかわからないほどでした。



習い事も多かったし、学校の生徒会などの活動もあったので、ほとんど自分の時間がなく、毎日行きつく暇がなかったように記憶しています。



そんな私がもうすべてが嫌になったと感じたのは中学三年のころです。



生徒会もお役御免になり、いざ受験となってしまった時、何もしていない自分に気が付きました。

そこそこ成績もよかったので、それをいいことにわからないことを放置していた結果が中学三年の後半に来ました。



中三の夏休みは部活二つのかけもちと、一か月不在の母に代わっての家事と、習い事が続き、秋にはとうとう脱力感に襲われるようになり、時間があればほーっと自分の部屋で何をするともなく過ごすことが多くなっていました。



で、成績の伸びない・できていないことを叱責され、自分の中で何かがぷつんと切れました。



もういいや・・・と。。



そのころからなんとなく「放っておいて。。」という言葉が多くなったかなと思います。

もちろん人に対してはっきりとは口に出さないのですが、一人で部屋に籠って「放っておいて」と

何度もつぶやいていた記憶はあります。



それはアドラー心理学を学び始めてもしばらくはありました。

人と関わることが疲れるし、面倒だし、うるさく感じて一人になりたくなるのです。



ですので、対人関係においてかなり自己中心的に人と関わっていたと思います。

自分が付き合いたいときには付き合ってほしい、でも嫌な時は放っておいてほしい。



とても都合のいい関係を相手に望んでいたのでしょう。



最近は一人の時間を大事にするのも自分らしさ、でも人ともちゃんとお付き合いできるし、相手も気持ちも察することができるし、理解できるし、楽しく過ごせる。



それでいいんだなと思っています。



自分の心地よさは一人一人違います。

自分に無理がないことは大事なポイントのように感じています。



そんな自分らしさを発見できるのも、アドラー心理学のすごさというか、、

ありのままの自分を認めることができるのです。



アドラー心理学はアドラー東北で毎月学ぶことができます。

自分らしさ再発見してみませんか?



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posted by 高橋直子 at 16:32| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月18日

「くだらない」という評価

こんにちは、仙台・盛岡・郡山でアドラー心理学のセミナーを開催しているアドラー東北の高橋です。



昨日の記事の続きです。



「くだらない」−父の良く使っている言葉でした。



家族みんなが言われていました。



自分が何かしたいと思った時、こういわれるのが嫌で隠れてやっていたものです。



また母はよく外出するときに「何の用で?」と聞かれ答えると「くだらない」と言われるのが常でしたので

いつも黙って出かけていました。



それはそれで子供の私たちにも不具合が生じます。

帰宅しても母が不在で、どこへ行ったのか?いつ帰宅するのか?などまったくわからなかったからです。



夕方になって弟や妹がおなかをすかせていて、そろそろ夕食の支度をしなければならないけれど、母が帰ってこない・・そんなとき冷蔵庫を見て、自分で台所に立つのは本当に大変でした。



夕食の支度をしていると父が帰宅して母のことを聴きます。

「どこへ行ったんだ?」



知らないので答えようがありません。

それで父に文句を言われます。



父の「くだらない」の一言は母を黙って外出させ、家族全員にひそかに自分のやりたいことを隠れてやりという家族の形を作っていました。



父は学校でも有名な厳しい教師だったので、家でも「評価」をしていたのです。



自分の物差しでいいとか悪いとか、ためになるとか役に立たないとか。。



だから外へ食事に行っても誰も父の決めたメニューに文句を言わず、だまって食べ、父に勧められた本を読み、テレビを見て。。



そんな生活は中学が終わるまで続きました。

今の父も基本的には変わりません。



そして覚える気もないのに何度も同じことを訪ねます。

とても面倒に感じて、評価されるのも嫌だし、みな自分のことはあまり話さないようになっていったと思っています。



でそれを自分が使っていることにアドラー心理学を学び始めてから私は気が付きました。



「それがなんの役に立つの?」と。。

形を変えてはいましたが、確かに「そんなことをしても意味がないんじゃない?」の意味ですよね。



「自分にとって価値があるかどうかは自分が決める」

それは相手にとっても同じことなのに・・。



今は「評価」はしませんし、相手の選択、行動にも自分の定規でもって測ることはやめました。



評価で育ってきた人はわたしに「評価」を求めることがありますが

「それはあなたが決めたこと!決めること!」で済ませています。



そのことの結果を引き受ける力が相手にあると思えるからです。



自分を評価もしませんし、評価する人がわかりますので、そういうことからは距離を置くようになりました。

それだけで相手も自分もとても自由な気持ちでお付き合いできます。



もちろんそのことに伴う責任は付随するわけですが、そんなことは自分の自由を得られている心の穏やかさと比べたら取るに足りないことでもあると感じています。



「評価」は上から下の関係になされるものです。

アドラー心理学のヨコの関係とはかけ離れた方法です。



もしも自分がそういう価値観のまま気が付かずにいたら今の自分はないなと感じています。



あなたの周りにもそしてあなたも「評価」は常に付きまとっています。特に仕事上は仕方がない。

でもそれは「仕事の部分だけ」、「人その人・人格」に評価はやめたいものですね。



アドラー心理学を学ぶと自分への気づきがたくさん得られます。いつからでもより良き人生へ方向転換できます。ぜひアドラーの世界を多くの人に知っていただきたいと思うのです。



アドラー心理学を学ぶならアドラー東北へ

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posted by 高橋直子 at 15:42| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月17日

面倒くさい・くだらない・うるさい・放っておいて

こんにちは、仙台・盛岡・郡山でアドラー心理学のセミナーを開催しているアドラー東北の高橋です。



「面倒くさい」「くだらない」「放っておいて」「うるさい」



これは私の口癖でした。(過去形)



今はほとんど出ませんが、アドラー心理学を学ぶ前は良く口をついて出ていました。



そのうちの今日は「面倒くさい」という言葉について書いてみます。



「面倒くさい」−やりたくない・迷惑だから持ち込まないで・・という気持ちだったんだと思います。

わたしの邪魔をしないで・・です。



家族の誰かが何か問題を起こしたとき、自分がそれを解決しないと・・となるとこの言葉が出てきました。



また地域とのかかわりで自分が出かけたり役を受けたり。。そんな時もこんな気持ちでいました。



自分のやりたいことだけやりたいようにやれるときが自分にとっては快適で、自分が自分でのぞんでいないことを引き受けるのが嫌だったのです。



「協力」という事とは無縁の自分がそこにいたのでした。



で、振り返ってみると家族の中でこの言葉を連発していたのは「父」であり、また「母」でありました。



私は二人を長らく受け入れられないでいたのですが、今は理解することが可能になりました。



父や母はどんな気持ちでこの言葉を使っていたのか・・と考えると、「自分の事で精いっぱいだからこれ以上負担を増やさないで・・。やることを増やさないで。。」という気持ちだったのかもしれません。



「自分の事だけ」、すなわち自己中心的な考え方であり、自分がよければOKであり、そこには他者、家族は存在しません。



今は私自身がどう考えているかというと



「家族だから自分の意に染まないことも協力して解決へ向かっていこう」という風にシフトしています。

もちろん、本人に解決してもらうことが前提ですのでまずは「勇気づけ」て自分で解決してもらうことを提案します。



そのうえで私にできることがあれば協力するから言ってちょうだいと伝えるのです。

そして協力を求められたとき進んで協力する自分が今はここにいます。



以前とは全然別の自分。



もしも家族の誰かが困っていた時、面倒だと感じて放っておく、関わらないでおく、そうされたらどう思うのか・・。



他者に対する「共感」という気持ちが私には完全にかけていました。

長い時間がかかったけれど、そんなことも含めてのアドラー心理学の実践は、ささやかでも確実に私を進歩させてくれています。



こういった言葉の数々・自分がつい行ってしまう言葉の数々はある共通項があります。

それぞれの言葉と向き合い考えていくうえで気が付いていく方もおられるかもしれませんね。



アドラー心理学と出会い日々その実践方法を試行錯誤するのはまさに自分を知り・自分育て・自分磨きです。



ぜひピカピカのあなたになってくださいね。
磨けばだれでも光ります。



アドラー心理学講座はアドラー東北で

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posted by 高橋直子 at 16:00| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月15日

「がんばりなさい」の落とし穴

こんにちは、仙台・盛岡・郡山でアドラー心理学のセミナーを開催しているアドラー東北の高橋です。



ほめることと勇気づけることの違い。

励ますことと勇気づけることの違い。



微妙なんですが、違うんです。。。。。



この辺が実にわかりにくく言葉で説明するのがなかなか難しい。



そこでアドラー東北ではよく「体験」していただき、受け取った言葉の感想を述べていただいています。



皆さんがよくつかわれる言葉の中に相手がやる気が増すように「がんばりなさい」とか「がんばってね。」と言った言葉があるかと思います。



失敗した方に対して

「大丈夫!」



言われたほうは

「え?何を根拠に?そういえるの?他人事だと思って。。」

と感じます。



また「がんばれ!」という言葉



言われたほうは

「もう十分頑張ってるのに、これ以上頑張れって言うの?わかってんのかな・・私の事」

と感じます。



「もっと元気を出して」という言葉



言われたほうは

「どっから元気を出せっていうの?もう限界だよ。。勝手なこといっているよね。」

と感じます。



励ませば相手がやる気を起こしたり奮起するという勘違い。



失敗した人、落ち込んでいる人にはどんな言葉をかけたらいいのか?



そんなことを学びながら「勇気づけ」とは?について日々皆さんと考えを深めたり意見の交換をしたり、体験したりの理屈でない部分の学び。



勇気づけって深いんです。

アドラー心理学のコアを成す技法であり、ポイントはいくつかあるけれど、「これを抜かしちゃダメでしょう。。」っていう不可欠な要素もあります。

その辺についてもこれから書いていければいいなと感じています。



アドラー心理学についてはアドラー東北のHPでご覧になれます。

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posted by 高橋直子 at 16:36| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年11月14日

基礎講座もいよいよ最終回

こんにちは。仙台・盛岡・郡山でアドラー心理学のセミナーを開催しているアドラー東北の高橋です。



毎年好評をいただいている基礎講座もいよいよ最終回。



今回初めてワークブックを使用してみたのですが、使い方次第でかなりの内容を学べると感じました。

郡山会場はすでに終了しましたのでご感想をいただきました。



❤参加当初は劣等感をとても感じて自分に自信がなかったのですが、回数を重ねるたびに考え方を変えることができ、ありのままの自分を受け入れられるようになってきました。目的論や課題の分離を学ぶことでとても前向きになれました。一回一回がとても充実した内容で高橋さんに出会えて本当によかったです。ありがとうございました。





❤活用したワークブックは実践と理論を同時に学べる(自分の行動を振り返るチャンスがある)点でよかったです。理論はとてもコンパクトにまとまっており、図や表でわかり易かったです。大学のゼミのような雰囲気で参加者の事例・ケーススタディのようなやり方がよかったです。
また自分なりに同時進行で他の本を読んだりしていて理解が深まりました。



自分で気が付き変えていく。

その勇気を持てる人が一人でも増えていきますように。



基礎講座は単発も可能です。テキストは当日購入できます。

詳細はHPをご覧くださいね。



http://adora-tohoku.sakura.ne.jp

posted by 高橋直子 at 17:11| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする